4月に入り、私が非常勤講師として契約している3つの専門学校の授業が順番に始まりました。
毎年、最初の授業はオリエンテーションみたいな感じで、インターネットのモラルやマナー、使い方の授業を行います。
今年は特に問題になった炎上動画について、これに学生が関わらないように注意喚起をします。
炎上動画については、数年前にもTwitterで拡散されて問題になっていました。
私は、このことについては、もやもやしたものを感じています。
昨年末から今年にかけての炎上動画もなのですが...
1.当事者:「やってはいけないこと」のはずのことを「やってしまう」
2.当事者:「やってしまったこと」が「うける」から「動画に撮る」
3.当事者:せっかく「動画に撮った」のだから、仲間うちに見せよう
→ 当事者:Twitterの鍵垢なら拡散されても大丈夫だろう
→ 第三者:鍵垢ではない垢に動画が表示され、拡散されまくり炎上
→ 当事者:インスタグラムのストーリーズなら24時間で消えるから大丈夫だろう
→ 第三者:スマホの画面録画機能で録画され、それをSNSへのっけられて拡散されまくり炎上
もしかしたら、次のケースかもしれません、
1.当事者:「うける動画」を撮影したい
2.当事者:だったら「やってはいけないこと」を「やってしま」った動画を撮影して仲間うちに見せよう
中には、計画性のある「やってはいけないこと」もありました。
計画性がある場合は、大変悪質としか言いようがありません。
「やってはいけないこと」をやってしまうのは、テンションが上がって分別がつかなくなった結果ではないかとも思います。
また、当事者は一人ではなく、複数人だったわけです。
やっている人と動画を撮っている人。
複数人の声も入っています。
ここまで書くと
「計画性がないから、許されるって読めるんだけど」
「当事者達をかばっていない??」
なんて、当事者を擁護しているように見えますよね?
擁護はしていません!!
ここまでは「こんな感じのことを考えていたのかな?」とちょっと心理状態を読んでみただけです。
実のところは、本人達に聞いてみなければわかりません。
じゃあ、何にもやもやしているのか?と言うと
「やってはいけないこと」を「やってしま」って「動画にした」ものをインターネットに上げない。
という考え方が変なのでは?ということです。
「やってはいけないこと」を「やらない」ようにすることが重要なはずなのですが...。
ですから、インターネットへ動画をアップするとかしないとかっていう前に人間としてモラルやマナーを守らなければならないと思います。
ましてや、自分が働いているお店の物ですよ?
それを無断で使って罪になることをやっているって自覚がなさすぎます。
なんか...
インターネットのモラルやマナーを教える前段階を小学生に教えるように教えなければならないのかと思うと、
なんだかなーと考えてしまいました。
子供達を取り巻く環境の変化という言葉で片付けてしまっていいものなのでしょうか?
教える立場として、ちょっと虚しくなりました。
でも、私に関わった学生達にはルールやモラルを語っていかなければならないと思いました。