2019年04月05日

まさか、母が脳梗塞になるとは(4)

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まさか、母が脳梗塞になるとは(3) の続き

2018年10月の記事更新から時間が経ってしまいました。


2017年10月〜11月の施設探しのことを書きます。

リハビリ病院は、180日入院ができますが、その後は自宅へ帰るか施設へ行くかになります。

2019_0405_病院のベッド.jpg

担当医の見解では、脳梗塞を発症する前の状況には戻れない。
車椅子が欠かせない生活になる。でした。

家は古くて狭いのでリフォームをして車椅子が入れるようにするということができません。
(あとは、私の精神がもたないという事情もあります。)

そうなると、施設へ行ってもらうしかないです。

施設は、要介護3であれば特別養護老人ホームへ入れます。
しかし、一応リハビリができる介護付き老人保健施設を探しました。

特別養護老人ホームは、要介護3以上
介護付き老人保健施設は、要介護1以上

で入れます。


しかし、現実にはどこの施設もいっぱいなので、いくつかの施設を見学し、仮申し込みをしました。
私の場合は、3箇所見学をしました。

仮申し込み後は、施設の方と母が病院で面談をします。
施設側からGOが出たら、そのまま空きが出るまで待機します。

もし、退院日までに空きが出なかったらどうしようかなと思っていたら、
A施設の方から、こんな提案をされました。
「お部屋が空くまでの間、ショートステイされてもいいです」と。
A施設は、大手法人でしたので、色々提案をしてもらえて助かったと思いました。

その後、11月、施設見学から1ヶ月ほどでA施設から「空きが出ました」と
連絡がありました。
A施設は、第一候補だったので、即入所を決めました。

介護付き老人保健施設は、永久に居られるわけではなく、仮住まいでありいつかは出なければならないです。

とはいえ、ひとまず決まってよかったと思いました。

2019_0405_車椅子のコピー.png

そして、2019年4月現在、母はその施設に1年5ヶ月います。

A施設の隣に同じ法人の特別養護老人ホームがあるので、そちらへ移ってもらいたいと思っていますが、
慣れてきた環境を変えるのがしんどいらしく、なかなか移ってもらえません。

空きができたときに移ってもらえるようにしたいとは思っています。

介護付き老人保健施設は、洗濯は原則的に家族がします。
なので、毎週1回は訪れて着替えの入れ替え作業を行なっています。

預かってもらえているのがありがたいので、毎週1回くらいは顔を見せなければと思うのですが、
だいたい毎週言われる「ネガティブワード」に精神的にちょっとやられて帰ってきています。

家で介護をされている方は、本当に本当に大変だと思います。

もし、母と暮らしても精神的に私が持てば今頃介護をしていたと思います。

しかし、私の方が母よりも先に逝ってしまいそうなくらいに精神的に追い詰められるので、
それは無理だと思っています。
(主人や子供もそこをすごく心配していました。離れて暮らさないと私がやられてしまうと)
母は、気まぐれで気難しいのです。そして、究極のネガティブ思考。何でも悪い方へ考えます。
それでも母なので、見捨てるなんてことはできません。
正直、すごく苦しいです。

しかし、私が仕事をしていたから、精神的均衡が取れていました。

だからこそ、預かってもらえることに大変感謝をしています。

どうせなら、税金対策にということもあり、母には身体障害者2級を取得してもらいました。
しかし、介護をするにも、預かってもらうにもお金って必要ということも、大変痛感しています。
母の年金は大変少ないので、私たちの方から少し援助しなければならないのです。
おまけに貯金は全くありません。

綺麗ごとは言いません。本当に世の中お金だなって思います。

==本当は紹介したくなかったりしますが、紹介します==






posted by ののえり at 14:52| 愛知 ☀| 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

まさか、母が脳梗塞になるとは(3)

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まさか、母が脳梗塞になるとは(1)

まさか、母が脳梗塞になるとは(2)








転院前に発覚したこともいろいろある。

もしかしたら、高齢者あるある?

かもしれないので、記録しておく。


思い込みの激しかった母は、自分が心臓が弱いと信じていた。

市販薬のCMもやっている「救〇」を愛用していた。
(この薬、かなり高価)

また、骨も弱いと信じていた。

救急指定病院で、様々な検査をしたところ、
心臓は悪いところがなかった。

骨も骨密度は年相応だった。


心臓が弱い...ってなんだったんだろう?と思っていた。


自己判断ほど怖いものはないかもしれない。


リハビリ病院では、理学療法、作業療法、言語療法の3つを
1週間の午前、午後に行うことになった。

リハビリ病院は、法律で決まっているのが、
食事は食堂(または食堂に準じる場所)にて、
入院患者みんなで取ることだった。

人とかかわるのが好きではない母だったので、
ちょっと心配をしていたが、何とかなった。

このリハビリ病院に入院している間に
介護判定もしてもらった。

結果は、要介護3。
1年後にまた更新がある。
(2017年のことなので、今年の更新は終わっている。
次は、2年後。)

要介護3になったことで、老人保健施設や特別養護老人ホームへ
入所が可能となった。

不幸中の幸いは、認知症がなかったこと。
頭だけはしっかりしすぎている。

しっかりしすぎているので、まだまだ振り回されることにもなる。

リハビリの間も病院なので、CSセットを頼んでおいた。
そうしなければ、洗濯物が大変だと思ったので。
パジャマや普段着、それらがCSセットには含まれている。

(今は施設なので、洗濯物が大変である。)

リハビリはほぼ毎日のように行われた。
理学療法では、車いすから立てるようになること。
作業療法では、左手で日常生活をできるようになること。
また、右手も少し使えるようにすること。
言語療法で、少しでも言葉が出るようになること。

リハビリ計画書は、病院から渡されるので、
家族も把握できる。

そして、期限を迎える前に施設を探さなければならないので、
様々な施設へアポを取り、見学をし、仮申し込みをすることになる。

その話は、また、続きで。

なぜ、施設に行くことになったかも合わせて書きます。

posted by ののえり at 12:32| 愛知 ☀| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

まさか、母が脳梗塞になるとは(2)

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まさか、母が脳梗塞になるとは(1)








救急車で病院へ運ばれた日から入院となった。

最近の病院は便利なもので。
お金を払えば、「CSセット」なるものがある。

タオル、スリッパ、パジャマ、湯飲みなどがセットになっているものだ。

タオルやパジャマは毎日変えてくれる。

これがあれば、用意するものは...と、
病院の資料を見ながら急いで買いに行くことはしなくていい。

ただ、母の場合は24時間点滴で動けなかったので、
おむつと尿取りパッドは、即用意しなければならなかった。

確か、ほぼ次の日くらいだったか?に、コーディネーターの人と話をする。

今後のプランなどについて。

まずは、脳梗塞発症後に危険とされている1週間が過ぎれば、
病院を転院することになる。

救急病院なのでいつまでいられないと。
そこで、コーディネーターさんと話しながら、
近くのリハビリ病院へ転院をすることにした。

さらに、「世帯分離」を勧められた。

その時は、主人が世帯主の同一世帯だったため、
医療費が莫大にかかってくると。

そこで、母を世帯主として分離することで、医療費などを
抑えることができるようになると教えてくれた。

早速、役所へ行き、手続きを行う。
これで、医療費上限が発生することになる。

転院は、入院から2週間後になった。
介護タクシーの手配もコーディネーターさんが行ってくれた。

結局、母は、
○右半身麻痺
○失語症
となった。

少しでも左手を使えるようにすることと、右手を補助的にも
動かせるようにする、両足で立つことができるようになる、
日常会話はある程度できるようになる。

など、リハビリをしなければならないことがあった。

次のリハビリ病院は、最長で180日間までしかいられない。
そこで、次の落ち着き先を探すことになる。

posted by ののえり at 14:50| 愛知 ☀| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする